インターネット

 情報があふれかえっているというのは、なんとも不思議なものだとぼんやり考えたりしています。比喩表現であるのは、もちろん承知の上です。インターネットは輪郭がおおよそとらえられません。終着点らしく感じたとしたら、それは自らの知識の境目で判断をしてるか、もしくは、本当にありうる知識を吸収したのかもしれません。しかし、膨大な人間が各々の考えを開陳している今では、後者に至ることはないでしょう。そんな風に考えてしまうと、インターネット自体があふれることはないのです。宇宙論のように、多くを内包しながら、常に拡大を続けているだけなのだろうと思っています。

 

 

 見たくない情報は、正しくないもしくは怪しいと判断してしまいがちです。そういう傾向を考えると、前述のインターネットの輪郭というのは、自分の許容範囲の中ではみ出してしまった残りを示しているのでしょうか。そんなちっぽけなものでもないような気があるんですが、よく言語化できません。

 

 話は変わりますが、私がここ数年を考えるに睡眠欲が強くなったように感じます。幼かったころほどの闊達さはとうに消え失せたのでしょうか。だからこその変化なのでしょうか。

 

 

 ネットの海から拾ってきたものですが、情報が頭の中で飽和すると眠くなるということを知りました。となると、おそらく情報社会の中でうまく適応できなかった成れの果てなのかもしれませんね。

 

 

 だからと言って、ネットから離れ続けるのも一種の違和感を感じてしまいます。見たいものが積み重なり、見なきゃに変化してしまっているからかもしれません。また、自分の許容量なんて知りませんから、加減を知るというわけにもいかないのです。

 

 

 ネットの大海から抜けだせず、いつまでもおぼれ続けているのは変わりゆく社会の風物詩になってしまうのもいいかもしれません。以上

 

 

 本当は、別にこんなことじゃなくて情報の消費の話をしたかったのですがね。